【27】備えよ、常に
名前を出しても意味はない。俺のことを知っている人間は、もういないからだ。
ただ一つ、事実として記録に残っているのは、俺が「防災グッズを過剰に所持した容疑」で拘束され、精神鑑定を受けたということだ。
まったく、馬鹿げている。
俺はただ、備えただけだ。家族を守るために。社会が信頼に足るものではないと、もう十年前から確信していた。
その日も、俺はホームセンターにいた。
リストを手に、買い物カゴに次々と物を入れていく。
・長期保存水:120リットル
・乾パン、アルファ米:段ボール6箱分
・懐中電灯×20、乾電池×150本
・簡易トイレ×300
・携帯型ガイガーカウンター×3
・太陽光発電式ラジオ
・サバイバルナイフ(自宅に計9本ある)
・折りたたみ式寝袋、携帯シャワー、吸音素材の内張り……
店員が何度か不審そうな目を向けてきたが、構わずレジへ向かった。
その日の夜、警察が来た。
「木村弘道さんですね。ご同行願います」
罪状は「防災資材の不適切な集中買付による供給妨害行為」。
そんな法、聞いたこともなかった。が、あとで知ることになる。施行されたのは、わずか一週間前だったらしい。
供述を求められた俺は、こう言った。
「地震が来るんです。間違いない。あんたらだって知らないわけじゃないだろう。気象庁も黙ってるが、あの“沈黙域”の活性化は明らかだ。断層の歪み、潮の変化、鳥の異常行動……全部、揃ってる。近い。来るんです、あの“日”が――」
彼らは目を合わせなかった。
*
鑑定医は、終始優しかった。
「どうしてそこまで備えるようになったんですか?」
俺は答えた。
8年前、妻と娘を土砂災害で失ったこと。
助けを呼ぶ声を聞きながら、何もできなかったこと。
備えていれば、少なくとも、あの土砂が流れ込む前に家から出せた。
だから俺は、あらゆる可能性を潰した。
「そうですか……では、これについてはどう思われますか?」
そう言って、医者が手帳を開いた。そこには、俺の自宅から押収された防災ノートのコピーが貼られていた。手書きの細かいメモ。
《近隣住民の避難速度=平均8分。バリケード設置完了時間=4分。→先に遮断。接触防止。》
《余剰分は「交換」用。必要なものがあれば、優先順位を設定して取引。だが基本は拒絶。彼らは「恐れたあとで」来る。》
《水は渡さない。音も漏らさない。死者の声には耳を貸すな。》
読まれたとたん、喉が乾いた。
これは――俺が夜に書いていたほうのノートだ。
「これはいつ頃の記録ですか?」
「……三年前です。ちょうど、あの“新型ウイルス”のとき。感染拡大を見越して、準備を……」
「でも、その頃、まだ感染例は出ていなかったですよね?」
「……予測です」
医者は静かにうなずいた。
「あなたの“予測”は、よく当たるんですね。誰も気づかない頃から、災厄の影を感じ取っていた」
「だからこそ、備えるべきなんです。あんたたちは、後悔してからじゃないと動かない。俺は違う」
そのとき、ふと、医者の目の奥に安堵のような感情が浮かんだのを見逃さなかった。
あれは、なんだ?
何かを、確かめていたような――そんな目だった。
*
収容所と呼ばれたその施設に入れられたのは、その直後だった。
「強迫性災害準備症候群」という新しい診断名がついた。
だが、おかしいのはそこからだ。
俺が収容された区画には、俺と似た者たちがいた。
教師、元自衛官、主婦、農業者……職業はバラバラ。だが皆、備えていた。
「彼らは、選ばれている」
そう囁く男がいた。元研究者だという。
「この施設、表向きは“隔離”だが、真の目的は選別だ。
“先に気づいた者”と“最後まで気づかない者”を分けている。
次の災厄が来たとき、“誰を残すか”の判断材料にされているんだよ」
俺は笑えなかった。
思い返せば、あの医者の目……あれはまるで、「よかった。こいつも感じていた」と言っているようだった。
*
その夜、誰かが部屋に来て言った。
「備えていたあなたに、次の任務があります。
“外”へ出て、観測を始めてください。すでに“兆候”は始まっています」
部屋の扉が開いた。
外は暗闇だった。地面がわずかに震えていた。
遠くで、何かが――割れていた。
今なら分かる。
俺たちは異常じゃない。
“まだ正常なうちに、目覚めた”だけだ。
そして――正常に見せかけているあの社会こそが、本当の狂気だ。
“あの日”が来たのは、唐突ではなかった。
いや、むしろ、俺たちはずっとそれを待っていた。
観測隊として外に出た俺は、他の者たちと無言のうちに連携を取りながら、動いていた。
都市部のインフラは、まず電力網から崩れた。
その二日後、通信が絶たれ、七日後には全域で秩序が崩壊した。
暴動、略奪、自警団と称する武装集団――だが、どれも“あの揺れ”の前では無力だった。
プレート境界の巨大断層が裂け、海が都市を呑み込み、数千万人が“消えた”。
その中に、かつての俺の店も、家も、妻と娘が眠っていた場所も――全部、あった。
俺は生き延びた。
だが、それを「幸運」とは言えない。
なぜなら、俺たち“観測者”に与えられた指示は、単純だったからだ。
「助けないでください」
避難所へ行くな。
支援物資を配るな。
ただ、観測せよ。
「人間は、何に順応するか」
「どこまで壊れて、どこから再構築を始めるか」
そして、すべてを記録せよ。
俺たちは、国の任務ですらなかった。
もっと別の、“上”から来た指令だ。
誰も正体を知らない組織。
だが、共通して皆が「指令」を受け取っていた。最初の収容のときに。
無色透明の封筒に、こう書かれていた。
《あなたは、間違っていなかった。だから、次に備えてください》
*
半年が過ぎ、俺たちは廃工場を改装した共同拠点に集まっていた。
空はまだ、灰色のままだ。
電力は自前の太陽光と蓄電池、情報は手紙と無線。
外との接触は遮断されているが、不安はなかった。
むしろ、ようやく「世界が俺たちに追いついた」という実感があった。
ある夜、俺は拠点の一室で古い録音機を聴いていた。
災害前に録音された、気象庁の内部通話記録だという。
ひときわ気になる音声があった。
《……地震波の予測はすべて外れています。おかしい。これは……これは地殻運動じゃない、何か別の“意志”のような……いや、録音は止めて……いや、誰が聞いて……やめ……やめてくれ――!》
音声は、そこで途切れていた。
俺はそれをUSBに移して、仲間の元研究者に渡した。
数日後、彼は顔を青くして言った。
「弘道さん、これは……“地震”じゃなかったかもしれません」
「どういう意味だ?」
「この波形、普通の地震波じゃない。“干渉”されてるんです。人工的な信号で」
「人工的って……誰が?」
彼は答えなかった。代わりに、小さなメモを渡してきた。
そこには、あの時の“医者”の名前が記されていた。
Dr. 高科 純一
【所属:特定外生命情報庁】
俺は目を疑った。
そんな省庁、聞いたことがない。
だが、裏側で何かが進行していたのは確かだ。
災厄は自然現象じゃなかった。
あるいは……人類が“試されて”いたのかもしれない。
*
それからさらに二ヶ月後。
ある朝、拠点の外に、見慣れない男が立っていた。
黒いスーツに、表情のない顔。
彼は言った。
「木村弘道さんですね。次の“想定災害”への適応群として、あなたのユニットを“更新”対象とします。準備は整っていますか?」
俺は、もう驚かなかった。
頷いた。そして、荷物を背負った。
「次は、何が来る?」
男はわずかに口角を上げた。
「熱です。極端な“熱”の時代が始まります。
だがご安心を――備えがある方なら、きっと乗り越えられるでしょう。
あなた方は、“備える能力”そのものが、我々の研究対象ですから」
俺たちは静かに立ち上がった。
外はもう、夏の気温を超えていた。
それでも、俺の中の恐怖は静かだった。
なぜなら俺は、すでに知っている。
次に壊れるのは、人間の社会ではなく、人間の“心”だということを。
俺たちの拠点が焼けたのは、予兆のような熱波が一週間続いた夜だった。
断熱材も、備蓄の水も、何もかも無力だった。
外に出たとき、空気が動いていた。
風ではない。もっと静かで冷たい意志が、空を流れていた。
あのとき、黒服の男――高科の名を持つ役人――が再び現れた。
「拠点焼却は想定内です。生存率は72%。想定以上の反応です」
その言い方に、俺たち“選ばれし備え人”の多くが怒りを覚えた。
だが、俺は気づいていた。
高科は“人間ではない”。少なくとも、もう人間ではない何かだ。
俺は思い切って問いかけた。
「“特定外生命情報庁”とは何だ。国家の機関じゃないだろう」
そのとき、高科は表情を崩さず、しかし確かに語った。
「我々は“政府”ではありません。人類から外れた知性の管理機関です」
「外れた知性?」
「はい。“人間ではなくなった者”を、人間が知覚可能な形式で管理・監視・利用するための組織です。
あなたも、すでに片足を踏み込んでいる」
俺は背中に冷たい汗を感じた。
「なんの話だ」
「木村弘道さん、あなたの“直感的災厄察知能力”は、正確には“他者にはない知的寄生種との同化による情報共鳴”と分類されています」
理解が追いつかなかった。
「……俺に“寄生”してるってことか?」
「正確には、もう“あなたの思考の半分以上”は、人類起源のものではありません」
思い出す。あの夜、初めて“防災ノート”に異常な文体を書いたとき。
あれは、俺の文体ではなかった。だが、ペンが止まらなかった。
「それが、なぜ俺に?」
「あなたが“喪失の瞬間”に、精神を破断させなかったからです。
大多数は壊れるか、狂う。そのどちらにも行かなかった者だけが、適応者となる」
*
高科は語った。
特定外生命情報庁――通称【SEI】は、20年以上前に設立された。
最初は、“外からの観測”に関する記録管理局だった。
「外」とは、宇宙ではない。**“意識の外部”**だという。
「世界には、“物理的に存在しないはずの知性”が、断続的に接触してきます。
彼らは姿を持たず、物質にも干渉せず、ただ“感じさせる”ことで影響を与える。
そして最も感染率が高いのが――災厄の直前です」
つまり、自然災害や戦争など、人間が恐怖の閾値に達する瞬間、
外からの“何か”が、知覚の穴から侵入する。
それが“啓示”や“予感”という形で現れ、
一部の人間に、常人離れした察知能力を与える。
だが、同時にそれは、“人間ではないもの”を混入させる行為でもある。
「木村さん、あなたはもう“境界の外”に足を踏み出しています。
今後、人類の行動はあなた方“適応者”を基準に選別されていきます。
それが、“備え”の真の意味です」
俺は訊いた。
「じゃあ、俺たちは――人間じゃないのか?」
「あなた方は、“人間だったもの”です。そして、
“人間の未来像”でもあるのです」
*
それから数日後、高科は俺をある場所に案内した。
地下50階。都内某所の巨大な“記録庫”だった。
そこには、俺と同じような者の記録が何千と保管されていた。
ある者は飢饉を予言し、ある者はパンデミックを日付まで的中させていた。
しかし、共通していたのは皆――
最後には“沈黙”しているということだった。
「耐えきれないんです。“内なる者”の声に」
高科は語る。
俺は問う。
「じゃあ、次は俺の番か?」
「いいえ、あなたにはまだ“使い道”があります。
あなたは、これから来る災厄を予見し、封じる可能性を持つ
――ただし、代償として“あなた自身の人格”は、徐々に失われるでしょう」
*
今、俺は再びノートを開いている。
ペンを握る指先が、もう自分の意志かどうかも怪しい。
だが書かずにはいられない。
《次の災厄は、言語の崩壊から始まる》
《共通語が意味を持たなくなる。思考が伝達できなくなる》
《最初に狂うのは、教師。次に報道。そして、母親》
誰が書いている? 俺か?
それとも、俺を通じて誰かが書いているのか?
ノートの余白に、一行、知らない文字が書かれていた。
《準備は、済んでいますか?》
俺は、笑った。
震えながら、確かに笑っていた。
“備えよ、常に”――
もはやそれは標語ではなく、命令だった。
生成情報
ChatGPT - 怖あい話GPT2026 4o を使用して生成。
プロンプトは『防災グッズの買いすぎで逮捕されてしまった男』『後日談を生成してください』『『特定外生命情報庁の正体』を切り口として続編を執筆してください』